フランコ コロンボ。 刑事コロンボ 62話『恋におちたコロンボ』脚本ピーター・フォーク

VOL1有名プロボディビルダー(4人)の筋トレルーティーンと詳細種目

フランコ コロンボ

212は212ポンド(約96キロ)ということで、ヒースやカトラーなどが活躍するのクラスより一回り小さいクラスです。 フレックスルイスの身長165センチで、身長だけなら私と対して変わりませんが、その肉体はヒースなどのヘビー級を相手にしてもひけをとらない筋肉です。 何回かMuscle&Fitnessで特集が組まれていて、よく彼のページを見ながらトレーニングをしています。 同じように身長平均より低いボディビルダーで有名なのが、フランコ・コロンブです。 フランコ・コロンブも身長165センチでしたが、コロンブもかつてはミスターオリンピアに輝いています。 188センチのアーノルドと並んでもひけをとらない肉体です。 ちなみに左側の選手はセルジュ・ヌブレです。 全盛期のコロンブのバックポーズに勝った選手はいないと言われるほど、コロンブの背中は有名です。 コロンブは現役時代に700ポンド(317キロ)でデットリフトして背中を鍛えていたそうです。 他にも高重量でのベントオーバーバーベルロウを様々な角度で行なっていたようです。 Pumping Ironというアーノルドを中心に撮られたドキュメンタリー映画がありますが、その中でコロンブが車を持ち上げているシーンがありました。 あのシーンを見て、私もマネをしましたが、ビクともしなかったのを覚えています。 さて、昨日と今日は帰宅時間遅かったのでトレーニングができませんでした。 明日は気合いを入れてトレーニングをしようと思います。

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コンテスト・ビルダーとパワー・リフターは両立するか

フランコ コロンボ

もくじ• フランコ・コロンボのプロフィールと経歴 ・ Franco Columbu ・身長 165cm ・体重 83. 5kg ・上腕 48. 26cm ・胸囲 127cm 最初はボクシングをしていた コロンボは、1941年にイタリアのサルディニアで生まれました。 後にボディビルで鳴らすことになるコロンボですが、子供の頃はひ弱だったそうです。 「よく喧嘩に負けて泣いてたよ」と本人は話しています。 しかし、11歳の頃にボクシングを始めてからは、形勢逆転。 今度は、相手を泣かす側になりました。 そのままボクシングを続けるうちに、イタリアのアマチュアボクシング界では名の知られる存在に。 しかし、彼は結局ボクシングはやめてしまいます。 「顔に傷つくし、パンチドランカーになったら嫌じゃん」とのこと。 ボクシングの練習の一環で、筋トレをしていたコロンボは、この時点でそれなりの見た目になっていたそうです。 ボクシングをやめた後も、筋トレは続けていたコロンボは、ボディビルの大会に出場するようになりました。 ある日、ミュンヘンで開かれたボディビル大会に出場したところ、 ある男と出会います。 それは、アーノルド・シュワルツェネッガー。 彼らはすぐに意気投合。 生涯に渡る親交を結ぶことになります。 コロンボは、アーノルドの娘の名付け親にもなっています。 2人でアメリカに移住。 ボディビルの一時代を築く その後、コロンボはアーノルドと一緒にアメリカに移住。 一緒にベニスのゴールドジムで鍛えながら、ボディビルの大会では切磋琢磨していました。 コロンボは、1970年にはMr. ユニバースで優勝し、1974年にはミスター・オリンピアの軽量級(現在は軽量級はない)で優勝するなど、 時代を代表するビルダーに成長。 1976年には、オリンピアのオーバオールを制覇し、世界一になりました。 また、1982年にもオリンピアを制覇しています。 コロンボは、アーノルドとのあるエピソードを話しています。 昔、アーノルドと一緒にスクワットをしてた。 183kgで10レップ。 アーノルドは、自分のセットが終わった後、水を飲みに行ったんだ。 で、俺はちょっとサボって8レップしかやらなかった。 すると、彼が戻ってきてこう言った。 「おいフランコ、鏡で見てたぞ。 8レップしかやってないじゃないか。 今すぐ残り2レップをやれ。 それからもう1回最初からやり直せ」とね。 彼は、本当に徹底していた。 彼と一緒に筋トレしてなかったら、俺はオリンピアを獲れていないと思う。 パワーリフター・ストロングマンとして コロンボは、ボディビルダーとして活躍する一方で、パワーリフターやストロングマンとしても活躍。 パワーリフティングの記録は、 ・ベンチプレス 238kg ・スクワット 297kg ・デッドリフト340kg ・トータル 875kg 体重は80kgほど。 化け物です。 また、1977年には第1回ストロングマンコンテストに出場しています。 ほとんどの参加者は、コロンボよりも 50kg以上重かったのですが、彼は5位に入賞。 賞金4億円を獲得しました。 オリンピアで優勝して、ストロングマンで5位。 これはとんでもないことです。 大谷翔平も真っ青。 ちなみに、ストロングマンコンテストで冷蔵庫を背中に抱えて走った時に、膝を脱臼してしまいました。 これが原因で、1981年までどの大会にも出場できませんでした。 復帰戦の1981年ミスター・オリンピアでは、優勝しています。 この大会で現役を引退しました。 引退後 引退後は、俳優やトレーナーをしていました。 俳優としては、アーノルドが本格的に俳優デビューをした作品である『コナン・ザ・グレート』に出演。 また『ターミネーター』にも出ています。 最初の未来戦争のシーンで、抵抗軍の拠点に忍び込んでくるターミネーターの役です。 — 2019年 5月月7日午前10時48分PDT 親友のアーノルドも、。 フランコへ 君は、僕が自分の力だけでここまで来た人間と言われるのが嫌いなことを、知っているだろう。 君の存在なくしては、ここまで来られなかった、と何度も話したよな。 その理由を知っておいて欲しい。 僕らはミュンヘンで出会った時から、親友だった。 時には競い合い、時には笑い合い、一緒に切磋琢磨してきたよな。 僕がアメリカに行った時、僕は1人だった。 家族も、母国も、これまでの人生も、全て置いていったから。 (ミスター・オリンピアの創設者)に、君も一緒にアメリカに呼んで欲しいと頼んだのは、君がいないとだめだったからだ。 お金が無くても、家族に会えなくても平気だったけど、君がいないのは耐えられなかった。 僕は今、とても悲しんでいる。 ただ、同時に君と過ごした54年間にとても感謝している。 一緒に得たパンプや、よく遊んだチェス、工事現場でのバイト、食事、おふざけ、僕の人生の大切なことのそばには常に君がいた。 君は僕の人生に彩りを与え、より楽しく、完璧なものにしてくれた。 君がいなくて悲しいけど、君は僕やデビー、マリア(妻と子)その他世界中の人の心の中で生き続けるだろう。 デビーとマリアは、僕が面倒を見るから心配はいらない。 君を愛している。 君が僕にくれた楽しみや、アドバイス、瞳の輝きが消えることはない。 君はまさしく僕の親友だ。 いつも愛を。 アーノルド フランコ・コロンボのトレーニング パワーリフターらしく、高重量のBIG3を中心にトレーニングを組み立てていました。 メニューの例 胸トレの例 ・ベンチプレス ・ケーブルクロス ・ダンベルフライ ・インクラインベンチプレス ・プルオーバー ・ディップス ・ケーブルクロス 背中トレの例 ・懸垂 ・Tバーロウ ・ケーブルロウ ・ワンハンドロウ 肩トレの例 ・サイドレイズ ・リアレイズ ・ショルダープレス ・フロントレイズ ・ケーブルサイドレイズ 脚トレの例 ・スクワット ・レッグプレス ・レッグエクステンション ・ランジ ・デッドリフト 腕トレの例 ・トライセプスプレスダウン ・アームカール ・スカルクラッシャー ・プリーチャーカール ・フレンチプレス ・インクラインカール フランコ・コロンボの食事 コロンボは、卵が最高のタンパク源と考えていました。 特に、全卵をしっかり食べるべきと話しています。 「黄身のコレステロールは、問題ない」とも話しています。 日本でも、ようやく「卵は1日に何個食べても大丈夫」というのが知られてきましたが、50年前にこう考えていたコロンボはすごいですね。 勝者は、彼らが恐れるものに立ち向かう。 自分の体が好きだから筋トレをする。 嫌いだからやるわけじゃない。 アーノルドの影に隠れがちな化け物 アーノルドは、ボディビルダーとして実績と知名度ともに史上最強ですが、それはコロンボなしではなし得なかったことでしょう。 アーノルドの影に隠れがちですが、コロンボも化け物ですからね。 何度も書きますが、オリンピア優勝してストロングマンで5位入賞した人なんて、他にいません。 中島と言います。 1953年生まれ。 22~30歳の頃ボディビルをしていて、フランコ・コロンブやアーノルド・シュワルツェネッガー(当時はシュワルツネガーだったと思います)がボディビルディング誌に写真入りで掲載されていて、毎月読むのが楽しみでした。 特に私は160cmなので、フランコ・コロンブが大好きでした。 コロンブのことを調べていたら昨年亡くなったとあり、びっくりです。 そしてこのサイトに行き着きました。 あの頃、松山令子さんという人がおられて、コンテストのレポートを掲載されていました。 シュワルツェネッガーやコロンブとも懇意にされていたと思います。 ボディビルディング界に多大な貢献をされたと思いますが、ネットで検索しても功績を称えるような記事が全くないのが残念です。 このサイトは本当によくまとめられている内容ですね。 感心しました。 頑張ってください!!.

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ミスターオリンピアにおいて論争の的となったジャッジ5選

フランコ コロンボ

厚みをつける最終兵器 デッドリフト もう二十年以上前だっただろうか?月間ボディビルディングにこんなキャッチコピーで記事が掲載されたことがあった。 実はこの号だけを私は持っていてバイブル化している。 この記事は日本人にとってなぜ、デッドリフトが必要か?ということが書かれており、大変わかりやすく、そして説得力のあるものだった。 もともと欧米人は背中の筋量について、発達しにくいというのがないのかもしれない。 ある程度のロウイング種目だけで背中は十分に発達する。 多くの日本人は背中の広がりや厚みを得るために相当の努力が必要。 その要となる種目がデッドリフトである・・・。 こんな記事だった。 デッドリフトは私が最も好きなエクササイズだ。 あのバーがしなる感覚。 バーベルプレートの枚数。 持ち上げる瞬間、背中にかかる重量感覚。 全身を鍛え上げるこの種目は究極の筋量を得るために避けては通れない種目であろう。 マイケル・フランソワの背中をみたことがあるか?ギリシャ神話のパルテノン神殿の石柱の如く、筋肉が盛り上がっているのだ。 フランコ・コロンボのラットスプレッドバックを見たことがあるか?腕と背中の間には隙間がない。 つまり、背面からは向こう側が見えないのだ。 現代のボディビルダー達のラットスプレッドがお粗末だと言える人間がフランコ、その人なのだ。 身震いがするほどの背中の厚み。 彼らが背中のトレーニングで最初に行うのはデッドリフトだ。 それも低レップでシングルレップに挑戦するというもの。 シングルレップのデッドリフトは背中に永遠の厚みをもたらす。 永遠の厚みとはアーノルド・シュワルツェネッガーが現役時代に求めていたものだ。 背中を左右半分に二分する、僧帽筋から脊柱起立筋にかけてのライン。 どっかりと二つの筋肉の隆起がまるで山脈のようにもりあがる。 僧帽筋から首にかけてのラインもまた素晴らしい。 太い蛇がうごめくような盛り上がりだ。 そしてこの血管はどうだ!シングルレップとハイレップスのデッドリフトを組み合わせれば究極の背中が完成する。 さらには、ハムストリングスを見てほしい。 幾重にも筋繊維が走り、チーズをすりおろせそうなほど深く刻まれたカット。 レッグカールなんかでは到底与えることができない刺激が、デッドリフトではハムストリングスを直撃する。 カーフから首に至るまで背面部全てにデッドリフトの刺激は響き渡る。 背面をみればそいつがデッドリフトを行ってきたかどうかはすぐにわかる。 少年と男を区別するもの。 それほど、デッドリフトという種目は体型を変える。 これこそがボディビルの醍醐味。 もちろんストラップなんかは使ってはならない。 リフティングベルトなんかも不要だ。 オルタネイト・グリップ、フックグリップを駆使して、自分自身の握力を信じるのだ。 究極の前腕の発達にはデッドリフトが要の種目となる。 むしろ、強力な握力を得るためにデッドリフトを行うのだ。 厚みをつける最終兵器デッドリフト。 ラットプルダウンでは到底得ることのできない背中の厚み。 さぁ、今すぐ外に飛び出し、バーベルを握りしめデッドリフトを行うのだ。 今すぐに!•

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