難民すれ。 難民

難民「たとえ収容されても母国には帰れない」その意味を考えたことがありますか?

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そんな「リトル・ヤンゴン」に一軒の小さなレストランがある。 店の名前は「Swe Myanmar(スィゥ・ミャンマー)」。 店主のタンスエさんと妻のタンタンさんが明るい笑顔で出迎えてくれた。 実はミャンマー料理で一般的に使われる調味料・ナンプラーが大の苦手な私。 「ナンプラーを使っていないメニューはありますか」と申し訳なく尋ねると、タンスエさんが混ぜご飯に鶏肉を乗せた料理「ダンパオ」をおすすめしてくれた。 鶏肉がほろほろと柔らかく、優しい味。 「どう、美味しい?食べれた?」。 タ スエさんの優しい笑顔に、また絶対足を運ぼうと誓った。 タンスエさんは、ミャンマーの軍事独裁政権から逃れてきた難民だ。 今はこの街で、妻と娘・息子の家族4人で暮らす。 日本にやってきて、まもなく30年が経とうとしている。 軍事独裁政権から逃げて… 1989年12月、凍えるような寒さの夜だった。 タンスエさんが日本にやってきて約1週間。 持参した1000ドルは底をつき、住む場所も食べる物もなかった。 「これで駄目だったら国に戻るしかない」。 日本で働いているという、名前だけ知っているミャンマー人に助けを求め、彼の家の前で明け方まで体を震わせながら待ち続けた。 ミャンマーでは1962年、軍によるクーデターが勃発し、軍事独裁政権が誕生した。 その後、たとえ家族や友人の間でも、政権を批判するような発言をすれば密告・逮捕されるような時代が続いた。 1988年、若者を中心に、自由を求める民主化運動が起こった。 当時大学の教員をしていたタンスエさんもこの運動に参加。 しかし政府は運動を激しく弾圧し、参加した人は次々と牢獄に入れられた。 「このままでは自分も捕まる」。 身の危険を感じたタンスエさんは、海外に逃げる決意をした。 当時ミャンマーのパスポートで渡航できる国はわずかで、たまたま日本大使館に勤めていた友人の協力で、日本のビザを取得することができた。 訪ねて待っていたミャンマー人が帰ってきた。 残業で帰りがこんな時間になってしまったのだという。 藁にもすがる思いで事情を話すと、外国人専用の宿泊所と日雇いの仕事を紹介してもらうことができた。 宿泊所でベッドに入った夜、日本に来てから初めて、安心して眠りについた。 日雇いで働き始めてしばらくたったある日、日雇い先の建築会社の社長と話す機会があった。 この出会いが、先の見えなかったタンスエさんの生活を救う。 社長はタンスエさんの身の上話を聞くと、自分の会社で雇うことを決め、借家を用意してくれた。 その上、タンスエさんが妻・タンタンさんを日本に呼び寄せる際の身元保証人にもなってくれた。 「自分は本当にラッキーだと思う」。 タンスエさんはそう話す。 タンスエさん夫婦は1997年に難民として認められた。 2010年には、ミャンマーで軍事政権が終わりを迎えたことから、一家で母国に戻ろうとした。 しかし、希望は叶わなかった。 依然として身の危険があることがわかり、直前で帰還を断念をせざる得なかったのだ。 このときすでに以前の勤め先を退職してしまっていたため、生計を立てるためにレストランを開くことにした。 それが「スィゥ・ミャンマー」だ。 「嘘難民」と言われた悲しみと日本への感謝 日本では2018年、1万493人の難民申請があったが、認定されたのはわずか42人(0. 先進国の中でも、最低レベルの認定率だ。 「君たちは難民じゃない。 嘘をついて、働くために日本に来たんでしょう」。 タンスエさんは、難民申請をしたときに入管の担当者からそう言われたことが忘れられない。 難民とはそもそも、政治的な迫害や武力紛争、人権侵害などを逃れるために他国に庇護を求める人々。 申請者が本当に難民かどうかの審査が難しいのも事実だ。 タンスエさんは「難民ではないが、豊かな日本で暮らしたいために難民申請をする人もいる」と理解をしつつも、「帰りたくても帰れない」自分の状況をなかなか理解してもらえなかったことに傷付いたという。 「ミャンマーに帰っても私は『ブラックリスト』です。 捕まる可能性は高いし、誰も自分とは関わろうとしない。 社会から隔離される存在なんです」と難民の現実を語る。 「難民認定されないと、母国に帰るしかない。 帰らなければ入管に収容されます。 収容所で数年過ごして、それでもやっぱり母国に帰るより収容所にいたいと願う人がいるんです。 その意味わかりますか…?」タンスエさんは言う。 それが意味することとはつまり、母国ではそれより酷い運命が待ち受けていることだ。 「入管は、彼らが帰りたがらない『意味』をもう少し理解してもいいんじゃないかと思うんです」 タンスエさんは、難民認定のハードルを下げるべきだと話す。 一方で、「今、家族と共に安心して暮らせていること」は日本のお陰だと感謝する。 見ず知らずの外国人の自分を救ってくれた建築会社の社長や、難民申請に尽力してくれた弁護士など、多くの日本人に助けられここまできた。 気づけば人生の半分以上を日本で暮らすタンスエさん。 それでも 母国・ミャンマーに対する想いは変わらない。 いつかミャンマーに戻り、国の自由と発展に貢献したいと願う。 「この30年間ずっとミャンマーの自由のために闘ってきました」。 難民として辛く悔しい経験も沢山したが、母国の自由のために人生を捧げてきたことに悔いはない。

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「難民申請すれば日本で働けると…」 制度悪用容疑のベトナム人夫婦を逮捕 警視庁

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中でも今後、政治的迫害を理由とした難民の流入は確実だ。 新型コロナウイルス感染防止対策のため、台湾当局が香港からの入国を規制する前の時点で、台湾に逃げ込んだ香港の反政府デモの参加者は200人を超えていた。 台湾の蔡英文政権も、難民を保護する考えをたびたび表明しているが、本音では敬遠しているふしがある。 香港民主派の過激派が流入することよる治安悪化を心配しているほか、必要以上に中国を刺激したくないようだ。 中国の全国人民代表大会(全人代、中国の国会に相当)が5月末、香港国家安全法の制定を議決し、香港の反政府デモが激化した際、意外なことに蔡総統は、情勢が悪化すれば、「香港・マカオ関係条例」を停止すると発表した。 この条例は、香港人を中国本土の住民と区別し、台湾へのビザなし渡航や滞在を認めるものだ。 条例停止の発言は、英米と同様、「一国二制度」が崩壊すれば香港の特別待遇をやめ、中国本土と同等に扱うという意味だが、蔡総統はそれまで「香港人民を支援する」と繰り返していたため、香港のデモ参加者を心底がっかりさせた。 また、台湾でも、蔡氏が総統選で大勝したのは、「香港反中デモ」のおかげなのに、恩に仇で報いる行いだとして批判の声が出た。 香港の反政府派と台湾の市民団体は、6月半ばに共同で記者会見し、蔡総統に対し「香港人の側に立つとの約束を守ってほしい」と呼びかけた。 香港の反政府派と、台湾の支持者の目には、蔡英文政権が「香港支持」を叫ぶ割には、実際の行動が乏しいと映り始めている。 世論の反発を受け、台湾政府で対中国政策を所管する行政院大陸委員会は「香港人道支援プロジェクト」を始動し、台北市内に7月1日、「台湾香港サービス交流事務所」を開設した。 香港人の台湾での就学や就職、投資・起業などを支援するほか、香港の反政府デモ参加者を保護するとしている。 業務内容はメディアに非公開で、相談は事前予約制だ。 台湾に破壊活動が持ち込まれることを懸念する声も しかし、事前の宣伝と裏腹に、今のところ同事務所の活動は低調なようだ。 そもそも現在の台湾には「難民法」がなく、保護制度も整備されていない。 同オフィスが与えられる支援も限られ、台湾に逃れた香港の若者も、生活の補助などは期待していないようだ。 国民党や民衆党など野党や市民団体から、同条例の改正や、新たな立法を求める声が挙がっているが、政府が立法を急ぐ気配はない。 台湾中央通信社の元董事長の陳国祥氏は、香港誌・亜州週刊に寄稿し「台湾人の多くは、香港とひとくくりにされて、中国と衝突するのはまっぴらと考えている」と指摘した。 香港国家安全法は、海外勢力が香港問題に干渉すれば取り締まると定めている。 台湾が香港の難民を保護すれば、中国に攻撃材料を与えてしまう。 また、陳氏によれば、香港デモ参加者には過激派も多く、台湾に破壊活動が持ち込まれることを懸念する声も少なくない。 蔡政権も、香港の難民受け入れに警戒する世論を無視できない。 陳氏によれば、蔡政権は香港民主派を全力で支持するよりも、投資移民やビジネスの移転といった「漁夫の利」を歓迎する可能性がある。

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「難民鎖国」は今:「難民は勇気をくれる存在」 元UNHCR駐日代表・滝沢三郎さん

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中でも今後、政治的迫害を理由とした難民の流入は確実だ。 新型コロナウイルス感染防止対策のため、台湾当局が香港からの入国を規制する前の時点で、台湾に逃げ込んだ香港の反政府デモの参加者は200人を超えていた。 台湾の蔡英文政権も、難民を保護する考えをたびたび表明しているが、本音では敬遠しているふしがある。 香港民主派の過激派が流入することよる治安悪化を心配しているほか、必要以上に中国を刺激したくないようだ。 中国の全国人民代表大会(全人代、中国の国会に相当)が5月末、香港国家安全法の制定を議決し、香港の反政府デモが激化した際、意外なことに蔡総統は、情勢が悪化すれば、「香港・マカオ関係条例」を停止すると発表した。 この条例は、香港人を中国本土の住民と区別し、台湾へのビザなし渡航や滞在を認めるものだ。 条例停止の発言は、英米と同様、「一国二制度」が崩壊すれば香港の特別待遇をやめ、中国本土と同等に扱うという意味だが、蔡総統はそれまで「香港人民を支援する」と繰り返していたため、香港のデモ参加者を心底がっかりさせた。 また、台湾でも、蔡氏が総統選で大勝したのは、「香港反中デモ」のおかげなのに、恩に仇で報いる行いだとして批判の声が出た。 香港の反政府派と台湾の市民団体は、6月半ばに共同で記者会見し、蔡総統に対し「香港人の側に立つとの約束を守ってほしい」と呼びかけた。 香港の反政府派と、台湾の支持者の目には、蔡英文政権が「香港支持」を叫ぶ割には、実際の行動が乏しいと映り始めている。 世論の反発を受け、台湾政府で対中国政策を所管する行政院大陸委員会は「香港人道支援プロジェクト」を始動し、台北市内に7月1日、「台湾香港サービス交流事務所」を開設した。 香港人の台湾での就学や就職、投資・起業などを支援するほか、香港の反政府デモ参加者を保護するとしている。 業務内容はメディアに非公開で、相談は事前予約制だ。 台湾に破壊活動が持ち込まれることを懸念する声も しかし、事前の宣伝と裏腹に、今のところ同事務所の活動は低調なようだ。 そもそも現在の台湾には「難民法」がなく、保護制度も整備されていない。 同オフィスが与えられる支援も限られ、台湾に逃れた香港の若者も、生活の補助などは期待していないようだ。 国民党や民衆党など野党や市民団体から、同条例の改正や、新たな立法を求める声が挙がっているが、政府が立法を急ぐ気配はない。 台湾中央通信社の元董事長の陳国祥氏は、香港誌・亜州週刊に寄稿し「台湾人の多くは、香港とひとくくりにされて、中国と衝突するのはまっぴらと考えている」と指摘した。 香港国家安全法は、海外勢力が香港問題に干渉すれば取り締まると定めている。 台湾が香港の難民を保護すれば、中国に攻撃材料を与えてしまう。 また、陳氏によれば、香港デモ参加者には過激派も多く、台湾に破壊活動が持ち込まれることを懸念する声も少なくない。 蔡政権も、香港の難民受け入れに警戒する世論を無視できない。 陳氏によれば、蔡政権は香港民主派を全力で支持するよりも、投資移民やビジネスの移転といった「漁夫の利」を歓迎する可能性がある。

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