枕草子。 枕草子『春はあけぼの』わかりやすい現代語訳と単語の意味 / 古文 by 走るメロス

枕草子~野分のまたの日~

枕草子

枕草子とは 枕草子が書かれたのは平安時代の中期、1001年 長保3年 頃。 約300の章段から成り、大きく分けて内容は下記の3種類に分類されます。 「川は」など、特定のテーマに沿って関連するものを書いた 類聚的章段• 宮中での経験を書いた 日記的章段• 思ったことや考えを書いた 随想的章段 清少納言の生涯 枕草子の作者、清少納言が生まれたのは966年頃。 あまり身分の高くない受領階級の娘として生まれました。 歌人として活躍していた家系で、父親は後撰和歌集の撰者でもある清原元輔。 清少納言もその文才を受け継いだのです。 16歳頃、清少納言は橘則光と結婚し、翌年に則長を生みます。 そして993年、清少納言が30歳くらいの時に一条天皇の妃である 中宮定子に仕えるため、宮中に出仕しました。 定子と清少納言の仲は非常に良く、当時貴重だった 紙を定子に貰った事が枕草子執筆のきっかけになります。 密かに書いていた枕草子でしたが、左中将の源経房が訪れた時にこの本を借り、それを周囲の人間にも読ませた事から世間に広まっていきました。 枕草子執筆のきっかけとなった定子でしたが、清少納言に紙を渡した数年後、24歳の若さで亡くなってしまいます。 定子が枕草子の全編を読むことが出来たのかは、わかっていません。 枕草子は、清少納言が宮仕えをしていた7年間の出来事や考えたことを書いた随筆です。 実は、定子が上昇気流だったのは清少納言の出仕から1年程の間でした。 父を亡くし、兄が流罪になるなど、その後は定子も清少納言も惨めな経験も多かったのです。 しかし、枕草子にはそういった辛い出来事などは書かれていません。 そういった事も踏まえて読んでみると、また違った味わいが出てくると思います。 ちなみに清少納言は当時としては長命で、60歳程まで生きたとされています。 枕草子の内容 この章では、枕草子の原文と現代語訳を抜粋してご紹介します。 冒頭文 第一段:原文 春はあけぼの。 やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。 月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。 秋は夕暮れ。 夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。 冬は早朝 つとめて。 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。 現代語訳 春はほのぼのと夜が明けるときが素敵。 だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い。 夏は夜。 月が出ていればもちろん、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。 また、ほんの一つ二つ、ほのかに光っていくのも良い。 雨の降るのもまた良い。 秋は夕暮れ。 夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐらへ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。 まして、カリなどで列を連ねて渡っていくのが遥か遠くに小さく見えるのは面白い。 すっかり日が落ちてしまって、風の音、虫の音などが様々に奏でるのは、もう言葉に尽くせない。 冬は早朝。 雪が降り積もっているのはもちろん、霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、はりつめたように寒い朝、火などを大急ぎでおこして炭火を部屋から部屋へ運んでまわるのも、いかにも冬の朝らしい。 昼になってだんだん寒さが緩むと火鉢の炭火も白く灰をかぶってしまって間の抜けた感じだ。 すさまじきもの 第二二段:原文 すさまじきもの。 昼吠ゆる犬。 春の網代。 三、四月の紅梅の衣。 牛死にたる牛飼ひ。 稚児亡くなりたる産屋。 火おこさぬ火桶、炭櫃 すびつ。 博士のうち続きに女子うませたる。 方違にゆきたるにあるじせぬ所。 まして節分などはいとすさまじ。 現代語訳 似合わなくて期待はずれで、気持ちがさめてしまうもの。 昼に吠える犬。 春まで残っている網代。 三、四月 今の四、五月 の紅梅がさねの着物。 牛の死んでしまった牛飼い。 赤ん坊の亡くなってしまった産室。 火をおこさない火鉢、いろり。 学者の家に続いて女の子ばかり生まれたの。 方違え 陰陽道で災いを避ける為に方向を変えてから目的地に行くこと に行ったのにご馳走をしない家。 まして節分など特別な日は、ほんとうに期待はずれだ。 心ときめきするもの 第二六段:原文 心ときめきするもの。 雀の子飼ひ。 稚児遊ばする所の前渡る。 よき薫き物たきて、一人臥 ふ したる。 唐鏡の少し暗き見たる。 よき男の車とどめて、案内問はせたる。 頭洗ひ、化粧じて、香ばしう染みたる衣など着たる。 ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし。 待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。 現代語訳 心がときめくもの。 スズメの子を飼う。 赤ん坊を遊ばせている所の前を通る。 良い香をたいて、一人で横になっている時。 舶来の鏡が少し曇ったのを覗き込んだ時。 身分の高そうな男が牛車を止めて、供の者に何か尋ねさせているの。 髪を洗い、お化粧をして、香りをよくたきこんで染み込ませた着物などを着た時。 別に見る人もない所でも、心の中ははずんでとても素敵だ。 待っている男のある夜、雨の音、風が吹き、がたがた音がするのも、はっと胸が騒ぐ。 過ぎにし方恋しきもの 第五九段:原文 河は。 飛鳥川、淵瀬も定めなく、いかならむと、あはれなり。 大井川。 音無川。 七瀬川。 耳敏川、またも何事をさくじり聞きけむと、をかし。 玉星川。 細谷川。 五貫川、沢田川などは、催馬楽 さいばら などの思ははするなるべし。 名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。 吉野川。 天の河原、「棚機つ女に宿借らむ」と、業平が詠みたるも、をかし。 現代語訳 川は。 飛鳥川、昨日は深かったところが今日は浅瀬になっていると、歌では無常そのもののように詠まれているが、どんな川なのかあわれに思われる。 大井川、音無川、七瀬川。 耳敏川。 また、いった何ごとをりこうぶって聞いたのだろうと思うとおかしい。 玉星川。 細谷川。 五貫川・沢田川などは、催馬楽 =宮廷の雅楽 などを思い浮かべる。 名取川、どんな名を取ったのだろうと聞きたくなる。 吉野川。 天の河原、「七夕の織姫に宿を借りよう」と在原業平が歌に詠んだのも、面白い。 わりなくしぶしぶに、起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。 あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かずもの憂くもあらむかし、と見ゆ。 指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。 格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。 思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見いでて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。 現代語訳 男というもの、やはり、明け方の別れ際の姿にこそ、そのセンスと真情が問われるというもの。 しかたなくしぶしぶと、いかにも起きたくなさそうなのを、女に無理にせきたてられ、「もうすっかり明るくなってしまったわ。 世間体が悪い」などと言われ、ちょっとため息なんかついているのは、本当にもっと一緒にいたいのだろうと思わせる。 指貫袴なども座ったままではこうともせず、また女にくっついて、夕べの甘いことばの続きを女の耳にささやき、そのうちさりげなく帯など結ぶ様子ではある。 格子を押し上げて、妻戸 =両開きの扉 の所まで女を連れていき、今日の昼間会えない間、どんなに気がかりで不安だろうかなどとつぶやきながらそっと出て行く。 そんな別れ方なら、女も自然にその後姿を、いつまでも名残惜しげに見送ることだろう。 何か急に思い出したようにさっさと起き出して、ばたばたと指貫袴をはいてひもをごそごそ締め、直衣や狩衣なども袖をまくりあげてたくし込み、帯を固く結んで座り直し、烏帽子のひもをきっときつそうに結び、それをきちっとかぶり直す音がする。 扇・懐紙など、夕べ枕元に置いたのが自然にあちこち散らばってしまったのを探すのだが、暗いので見つからない。 「どこだ、どこだ」と手探りでたたきまわり、やっと見つけ出してほっとして扇ではたはたあおぎ、懐紙を突っ込んで、「それじゃ、帰るとするか」などと言う。 ありがたきもの 第七二段:原文 ありがたきもの。 舅に褒めらるる壻。 また姑に思はるる嫁の君。 毛のよく抜くる銀の毛抜き。 主そしらぬ人従者。 つゆの癖なき。 かたち・心・ありさますぐれ、世にふるほど、いささかのきずなき人。 同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの暇なく用意したりと思ふが、遂に見えぬこそかたけれ。 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。 よき草紙などは、いみじう心して書けど、必ずこそ汚げになるめれ。 男・女をば言はじ、女どちも、契り深くて語らふ人の、末まで仲よき事、かたし。 現代語訳 めったにないもの。 舅にほめられる婿。 また、姑にほめられるお嫁さん。 毛がよく抜ける銀の毛抜き。 主人の悪口を言わない使用人。 全然欠点のない人。 顔立ち・心・ふるまいも優れていて、ずっと世間で人付き合いをしてきて、ほんの少しの非難も受けない人。 同じ仕事場で働いている人で、互いに礼をつくし、少しの油断もなく気を遣い合っている人が、最後まで本当のところを見せないままというのもめったにない。 物語や和歌集などを書き写す時、元の本に墨を付けないこと。 上等な本などはとても気を付けて写すのだけれど、必ずといっていいほど汚してしまうようだ。 男と女とはいうまい、女同士でも、関係が深くて親しくしている人で、最後まで仲が良いことはめったにない。 あさましきもの 第九三段:原文 あさましきもの。 指櫛 さしぐし すりて磨くほどに、物に突きさへて折れたる心地。 車のうち返りたる。 さるおほのかなる物は、所せくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。 人のために恥づかしうあしき事、つつみもなくいひいたる。 かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明かし待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見あげたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。 見すまじき人に、ほかへ持て行く文見せたる。 むげに知らず見ぬことを、人のさし向かひて、争はすべくもあらず言ひたる。 ものうちこぼしたる心地、いとあさまし。 現代語訳 呆然としてしまうもの。 指櫛をこすって磨くうち、物にぶつかって折ってしまった時の気持ち。 牛車がひっくり返ったの。 あんなに大きなものはどっしりしていると思っていたのに、ただ夢のような気がして、唖然としてあっけない思いだ。 当人にとっては恥ずかしく具合の悪いことを、遠慮もなく言っているの。 絶対来ると思う男を、一晩中まんじりともせず起きて待っていて、明け方にふと忘れて寝込んでしまい、カラスがすぐそばでカアカア鳴くので、ちょっと見上げたら昼時になってしまっていた、なんてことだと呆れ返ってしまう。 見せてはいけない人に、他へ持って行く手紙を見せてしまったの。 こちらがまるっきり知らず見もしないことを、人が、ひざ詰めで反論もできないぐらいに言うの。 何かをひっくり返してこぼした時の気持ち、本当にがっかりだ。 胸つぶるるもの 第一四五段:原文 胸つぶるるもの。 競馬見る。 元結よる。 親などの心地あしとて、例ならぬ気色なる。 まして、世の中などさわがしきころ、よろづの事おぼえず。 また、物言はぬ児の泣き入りて、乳も飲まず、乳母の抱くにも止まで、久しき。 例の所ならぬ所にて、殊に又いちじるからぬ人の声聞きつけたるは道理 ことわり 、異人 ことひと などの、その上などいふにも、まづこそつぶるれ。 いみじう憎き人の来たるにも、またつぶる。 あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ。 昨夜来始めたる人の、今朝の文の遅きは、人のためにさへ、つぶる。 現代語訳 はらはらどきどきするもの。 競馬見物。 元結をよる時。 親などが具合が悪いといって普段と違う様子の時。 まして、世間で伝染病が流行っていると聞けば、もう何も手につかない。 また、口の聞けない赤ん坊が泣くばかりで乳も飲まず、乳母が抱いてもずっと泣き止まない時。 思いがけない所で、特にそれも、公でない恋人の声を聞きつけた時は当然のこと、他の人が、その噂などをしても、たちまちドキドキする。 ひどく嫌な人が来た時もまたドキドキ。 変にドキドキ縮みっぱなしなのが心臓というもの。 昨夜通い始めた男の今朝の手紙が遅いのは、人ごとでもはらはらする。 うつくしきもの 第一四六段:原文 うつくしきもの。 瓜に書きたる児の顏。 雀の子の、鼠なきするに、をどりくる。 二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 頭は尼そぎなる児の、目に髮のおほへるを、かきはやらで、うち傾きて、物など見たるも、うつくし。 大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられて歩くも、うつくし。 をかしげなる児の、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむ程に、かいつきて寝たる、いとらうたし。 雛の調度。 蓮のうき葉のいと小さきを、池よりとりあげたる。 葵のいと小さき。 何も何も、小さき物は、皆うつくし。 いみじう白く肥えたる児の二つばかりなるが、二藍の薄物など、衣長にて、襷結ひたるが這ひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着て歩くも、皆うつくし。 八つ九つ、十ばかりなどの男子の、声は幼げにて書読みたる、いとうつくし。 鶏の雛の、足高に白うをかしげに、衣みじかなるさまして、ひよひよとかしかましう鳴きて、人の後・前に立ちて歩くも、をかし。 また、親の、ともに連れて立ちて走るも、皆うつくし。 雁の子。 瑠璃の壺。 現代語訳 かわいらしいもの。 ウリに描いた子どもの顔。 スズメの子がチュッチュッというと跳ねて来る。 二つか三つの幼児が、急いで這ってくる途中に、ほんの小さなごみがあったのをめざとく見つけて、ふっくらと小さな指でつまんで、大人などに見せているしぐさ。 おかっぱ頭の子どもが、目に前髪がかかるのをかき上げないで、ちょっと頭をかしげてものを見たりしているしぐさ。 それほど大きくはない公卿の子息が、美しい衣装を着せられて歩く姿。 きれいな赤ん坊が、ちょっと抱いてあやしてかわいがっているうちに、抱きついて寝てしまったようす。 人形遊びの道具。 ハスの浮き葉のとても小さなのを、池の中から取り上げたの。 アオイのとても小さいの。 小さいものはみんな可愛らしい。 たいそう色白な太った幼児で、二つばかりのが、二藍の薄物の長いのを着て、袖をタスキに結んで這い出して来たのも、また、丈は短いが袖ばかり目立つのを着て歩きまわるのも、みな可愛い。 八つか九つ、十くらいの少年が、子どもっぽい高い声で本を読んでいるのも。 ニワトリの雛が、足長く、白く愛らしく、裾をからげたような格好で、ぴよぴようるさく鳴いて、人の後先に立って歩くのも面白い。 また、親鳥が一緒に連れて走るのもみな、可愛らしい。 カルガモの卵。 瑠璃の壺。 ただ過ぎに過ぐるもの.

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『枕草子』の現代語訳:3

枕草子

現代語訳(口語訳) 春は夜がほのぼのと明けようとする頃(が良い)。 (日が昇るにつれて)だんだんと白んでいく、山際の辺りがいくらか明るくなって、紫がかっている雲が横に長く引いている様子(が良い)。 夏は夜(が良い)。 月が出ている頃は言うまでもなく、(月が出ていない)闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている(様子も良い)。 また(たくさんではなくて)、ほんの一匹二匹が、ぼんやりと光って飛んでいくのも趣がある。 雨が降るのも趣があって良い。 秋は夕暮れ(が良い)。 夕日が差し込んで山の端にとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみと心打たれる。 言うまでもなく雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とても趣があって良い。 すっかり日が落ちてから(聞こえてくる)、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなく(すばらしい)。 冬は早朝(が良い)。 雪が降(り積も)っているのは言うまでもなく(素晴らしく)、霜が(降りて)とても白いのも、またそうでなくてもとても寒い(早朝)に、火などを急いでおこして、(廊下などを)炭を持って移動するのも、たいそう(冬の朝に)ふさわしい。 昼になって、生暖かく(寒さが)だんだんとやわらいでいくと、火桶に入った炭火も白い灰が多くなっているのは(見た目が)よくない。

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枕草子(まくらのそうし)とは

枕草子

【原文】 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。 立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。 大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、 萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。 格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、 荒かりつる風のしわざとはおぼえね。 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、 まことしう清げなる人の、夜は風のさわぎに、寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、 母屋よりすこしゐざり出でたる、 髪は風に吹きまよはされて、すこしうちふくだみたるが肩にかかれるほど、まことにめでたし。 物あはれなるけしきに、見出だして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、 十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねどわざと大人とは見えぬが、 生絹の単衣のいみじうほころび絶え、花もかへり、ぬれなどしたる薄色の宿直物を着て、 髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにてたけばかりなりければ、 衣の裾にかくれて袴のそばそばより見ゆるに、 童べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取りあつめ、起し立てなどするを、 うらやましげに押し張りて、簾に添ひたるうしろでもをかし。 雨風をよける役割を果たします。 ここでは外に立てた蔀のことを言っています。 もちろん目隠しにもなります。 母屋のひとつ外が「廂/庇( ひさし)」です。 国語便覧を見た方が早いでしょう。 「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ」というのが和歌の全体像です。 「吹くとたちまち秋の草木がしおれるので、なるほど山風を『嵐』と書いて『荒らし』というのだろう」という意味です。 昨夜の台風・嵐にちなんで、和歌の一節を口ずさむのです。 【現代語訳】 台風の翌日は非常にしみじみとした趣があり面白い。 立蔀や透垣などが乱れていて、庭の植え込みなどもとても気の毒な様子だ。 大きな木なども倒れ、枝なども吹き折られたのが、 萩や女郎花などの上に横倒しになっている様子など、とても意外だ。 格子の枠などに、木の葉をわざわざやったかのように細々と吹き入れてあるのは、 荒々しかった風の仕業とは思えない。 とても濃い色の衣の光沢が落ちたのに、黄朽葉色の織物や薄物などの小袿を着て、 まじめで綺麗な感じの人が、夜は風の騒がしい音で寝られなかったので、朝遅くまで寝て、起きるとすぐに 母屋から(廂の方に)座ったまま膝で進み出たのが、 髪は風で吹き乱されて、少しぼさぼさになっているのが肩に掛かっている様子は本当に素晴らしい。 何となくしみじみとした様子で外を見て「むべ山風を」などと言っているのも情趣を解すると見えるが、 十七、八歳ほどであろうか、小さくはないが、取り立てて大人とは見えないのが、 生絹の単衣がひどく糸が切れてほころび、花色が褪せてている、その上に濡れるなどしている薄色の宿直着を着て、 髪は艶があってこまやかに美しく、髪の裾もススキのように広がって背丈ほどの長さだったので、 着物の裾に隠れて、袴のひだから見えるのに、 女の子や若い女房が、根っこごと吹き折られた草木をあちこちに取り集めたり、起こし立てたりするのを、 羨ましそうに簾を外に押し張って、簾に体をぴったり寄せている後ろ姿も風情がある。 『枕草子』の中でもとりわけ有名な段です。 特に冒頭は名高いですね。 古来、日本では台風のことを「野分( のわき・のわけ)」と呼んでいました。 「台風」は英語のtyphoonから音を拝借した当て字です。 typhoonはギリシャ神話の「テュポン」という神の名から来ていると言われています。 また、台風にまつわる言葉として「二百十日」「二百二十日」というのがあります。 立春から数えて210日目あるいは220日目(9月上旬・下旬)あたりに台風が来ることが多いということです。 ちなみに、夏目漱石には『二百十日』という小説があります。 話を戻しましょう。 台風の翌朝、庭が荒れているものの、思いがけない所に思いがけないものがある、その面白さですね。 これは共感できるのではないでしょうか。 人の意志が働いていないのに、いや働いていないからこそ絶妙な配置が生まれたりするのでしょう。 さて次。 「まじめで美しい人が風に煽られて髪が乱れているのが素敵」って感覚、分かります? たぶん、男性なら分かる人が多いんじゃないかと思いますが。 「まじめさ」も一つの大事な要素だと思うんです。 まじめな女性は普段は隙なんか見せないわけですよ。 ところが、この日の前夜は台風でよく眠れず、朝起きてぼんやりとしているんです。 それで、ちょっと部屋を出たところで風に髪を乱される、ということでしょう? これは間違いなくドキッとします。 自分の好みの女性に置き換えて想像してみてください。 もちろん、僕なら松原夏海ちゃんです。 萌え度MAXです。 キュンキュンしちゃいます。 下手したら萌え死ぬかも知れません。 でも、検死の結果「萌え死」なんてことになると親族が恥ずかしいでしょうから妄想は控えめにしたいと思います。 最後の、外を眺める女性の部分は分からなくもないのですが、取り立てて書くこともないな。 この段の解説になっつみぃを出してくる人って世の中で僕一人でしょうねww 清少納言が『枕草子』の読者として第一に想定していたのは中宮定子です。 その中宮定子が亡くなった後も作品は書き続けられますが。 この作品はその時代にあった(であろう)作品群とはあまりにも様相が違います。 奇異といってもよいでしょう。 これを始めて目にした人は、物語でもなければ日記でもなく韻文でもないこの作品がいったい何なのかさっぱり分からなかったかもしれません。 例外なのは、心が通じていた中宮定子、あとは同僚の女房達でしょう。 また、『枕草子』はやはり仕事として書いている部分が大きいと思います。 中関白家に雇われた女房ですから、中関白家の栄華を伝える手段として『枕草子』は存在しているはずです。 従って中関白(藤原道隆)の死後、絶対に暗く沈んだムードであったはずの所でも、そのような暗い描写は出てこず、明るく雅な雰囲気であったかのように描写します。 あくまでも主家のために、気丈さを保って筆を執っているその態度に感動することがしばしばあります。 高村のこれを読むようになって「枕草子」に対するイメージが変わってきた気がする。 同じエッセイだったら断然「徒然草」や「方丈記」の方が「男らしい」と思ってたから。 まあ「枕草子」に「男らしさ」を求める方がおかしいしな、そもそも。 でもある意味清少納言も男らしいわな。 ものの感じ方自体は違っても、それをこうやってズバリ言い切っちゃうあたりとか。 当時の基準で考えたら(そもそも「当時の基準」がよく分からん…)「男らしい」どころか「ウルトラ変人」だろうが。 あと「そこそこ直訳」ってスタンスも好きよ。 いいじゃんか。 冒険しようぜ。 でも清少納言って、もし今いたら絶対twitterやってる気がする。 兼好法師はブログかねえ。 んで鴨長明は今でも手書き原稿にこだわるとか。 まあとにかく俺的にはこのブログの「古文率」が上がるのを期待するけどね。 AKなんとかはちょっとさ…。 なあ?.

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